S先生のこと

S先生と出会ったのは15年前。

5歳からはじめたピアノをすぐにやめてしばらく経ったあるとき、お世話になっていた調律師さんから新しい先生を紹介してもらって、私は10歳からピアノを再開することになった。

当時S先生は今の私より4つ上くらいの年齢で、細身のジーンズにTシャツのよく似合う、かっこよくて綺麗な人だった。

私はもともとそんなにピアノが好きではなかったし、練習もろくにしない子どもだった。でも、この先生のことはなんとなく好きだから、一応ちゃんと言うことを聞いてみようと思って、少しずつ練習するようになったし、クラシック音楽ばかり聴くようになった。

レッスンで一番楽しかったのは、毎週何か曲を選んで聴いた感想を書くという宿題やこれから新しく取りかかる曲のことについて調べてくるという宿題が出て、S先生と一緒にいろんな話をしたこと。

初めてブラームスの曲に触れたとき、先生がクララ・シューマンとの逸話を教えてくれたのをきっかけに伝記を読んで、たくさん曲を聴いて、ブラームスが大好きになった。

それでたぶん、いま私はここにいる。

いつのまにかピアノも音楽も大好きになっていた私は、音楽の道へ進むことを決心した。S先生は私の進路を全力でサポートしてくださった。大学受験のためにはより専門的な先生たちの力が必要だということになって、各所に取り次いでいただき、私は正式にはS先生の教室の生徒でなくなった。そのことを寂しがっている私に、S先生は「これからは友達になろう!」と言って笑った。

その言葉の通り、大学に受かって上京してからもS先生とはずっと連絡を取り続け、帰省の度に会ったり、帰省してなくても夜通し電話をしたりした。音楽の話も人生の話も、何時間も語り続けた。

S先生は私にとって、心の底から敬愛する恩師で、何でも話せる親友だった。

闘病中も、電話の向こうからはいつもと変わらぬ明るい声が聞こえてきて、私の中には笑顔のS先生の姿だけがずっと残っている。

まだまだ話したいことがあるのに、恩返しも全然し足りないのに、こんなに早くいなくなられては困る。お別れの挨拶には伺ったものの、正直まだ全く現実を受け入れることができていない。あれから2ヶ月経ち、こうして書けば少しは落ち着くかと思ったが、この悲しみに慣れることなどないのだと思う。

それでも進んで行かなければならない。音楽は時間の芸術、前に進むだけだから。

S先生に教えてもらったこの言葉を何度も自分に言い聞かせて、なんとかやっています。寂しくて寂しくて仕方がないけど、もう遠く離れていても関係ない、いつでも先生が見守ってくれているのだと思ってがんばります。